― 風島弁財天縁起 ―
風島神社の創建については、
詳しく記された旧記は残されておらず、
古くからの言い伝えが、今に語り継がれています。
人皇第六十八代・後一条天皇の御代、
安芸・周防・長門三国の領主であった
毛利長門守 長俊 という人物がいました。
長俊は若い頃より弁財天を深く信仰していたと伝えられます。
治安三年、政争により命の危機に瀕した折、
ある夜、弁財天が夢枕に立ち、こう告げられたといいます。
――
遥か北の海に、佐渡という国がある。
その地に風島と呼ばれる島があり、
岩石そびえ、自然湧き出づる霊地である。
竹生島・厳島・江の島と並び、
佐渡の風島は「四弁財天」の一つ。
もしその地に赴き、我を再興すれば、
この難を免れるであろう。
――
夢のお告げに従い、長俊は北海を渡り佐渡へ至り、
片野尾の地にて、霊夢に見た島を見出します。
それが、今の弁天岩であると伝えられています。
岩に登ると、そこには朱塗りの社殿跡が残り、
すでに朽ち果てていたといいます。
長俊は里人に弁財天の功徳を語り、
社の再建に尽力しました。
時に 長久二年(1041年)。
数年の奉仕の後、長俊は赦しを得て国へ戻り、
その武運は大いに開けたと語り継がれています。
帰国にあたり、一子をこの地に留め、
社頭を守らせたことが、
現在の社人・津村家の始まりとされています。
